天平勝宝4年開眼 14.98m
「華厳経」に説かれる連華蔵世界の教主。経典では毘盧舎那仏、または盧舎那仏と表す。「宇宙をつらぬく光の仏陀」を意味し、如来。知恵と慈悲の光明をあまねく照らし出す仏。
奈良の大仏は、天平15年(743年)に聖武天皇の発願によって、造立、9年後の天平勝宝4年(752年)に開眼供養が行われた。完成当時は、銅の上に金メッキを施した金銅製。
大変な時間と労力で作られた大仏ですが、完成後も何かと災難が続き現在は一部を残して修復されたものです。また、予算の関係上、修復は一度に行われなかったため、体の部分により色合いが変わります。
| 743年 | 造像が発願 |
| 745年 | 原型造りがはじまる |
| 746年 | 原型の完成 |
| 747年 | 鋳造がはじまる |
| 749年 |
鋳造が終了 螺髪の取り付けがはじまる |
| 750年 | 鋳掛(鋳造の修正)がはじまる |
| 751年 | 螺髪の取り付けが終了 |
| 752年 |
台座の蓮弁の線刻がはじまる 鍍金(メッキ)がはじまる 開眼供養会が行われる |
| 755年 | 鋳掛(鋳造の修正)がはじまる終了 |
| 756年 | 台座の連弁の線刻が終了 |
| 757年 | 大仏と大仏殿の完成 |
| 771年 | 木造の光背が出来上がる |
| 786年 | 臀部にヒビがはいり、左手が落ちる |
| 827年 | 頭が傾きはじめる |
| 855年 | 地震により頭部が崩落 |
| 861年 | 頭部を修復 |
| 1180年 | 平重衡の南都焼き討ち。大仏殿焼失、頭部と手が焼ける |
| 1184年 | 頭部と手の修復が終了 |
| 1195年 | 二代目大仏殿が完成 |
| 1567年 | 三好・松永の戦いで再び大仏殿が焼失、大仏は腰から下の一部を残し焼失 |
| 1568年 | 木に銅板を張ってとりあえず修復 |
| 1569年 | 体躯部分の修復を行う |
| 1691年 | 頭部の修復が終了 |
| 1709年 | 三代目大仏殿が完成 |
| 銅 | 499トン |
| すず | 8.5トン |
| 金 | 200~440kg |
| 水銀 | 2.5トン |
| 像の重さ | 250トン |
| 台座の重さ | 130トン |
| 作業人数 | のべ260万人(国民の半分) |
| 螺髪1個の大きさ |
高さ:21cm 直径:22cm |
| 螺髪の数 | 966個 |
| 初代大仏殿の大きさ |
正面:約88m 側面:約52m 高さ:約47m |
| 二代目大仏殿の大きさ | 初代とほぼ同じ大きさ |
| 三代目大仏殿の大きさ |
正面:約57m 側面:約52m 高さ:約47m |
| 現在の大仏の大きさ |
座高:15m 顔の長さ:5.3m 目の長さ:1m 口の長さ:1.3m 手の長さ:2.6m 台座の高さ:3m |